高室金兵衛
高室金兵衛は徳川秀忠に仕え、元和6年代官として生浜地区を支配しておりました。
当時,領内の北生実,浜野、村田、古市場、高島,菊間、八幡、七ヶ村の農民が
灌漑用水に困っているのを見かね,元和8年,村田川上流の市原郡草刈に堰を
築き水を前記七ヶ村に流すようにしたところ、積年の干ばつは解消され,農民は
米作に精を出すことができました。
文政7年領内農民はこの業績を追慕して堰安全祈願所であった妙院寺境内に
項頌徳碑を建立いたしました。また領主森川氏もその功績に対して年々米2石1斗
を同寺に香花料として賜りました。
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