生実池用水 1882(明治15)年月測図 (国土地理院所蔵)
上図の中央下寄りにみえる、中央を土手で2分された大きな池が生実池(大池)である。
生実郷と北生実村のそれぞれの集落が展開する台地にはさまあれたヤツの出口に位置
しており、西側に広がる海岸部の沖積低地の田地のために、ヤツの水を一時ためておく
貯水池の役割を果たしていることが解かる。この池がいつ作られたかは不明だが、
おそらく中世以前に遡り、沖積低地の開発に伴う施設であったと推定される。
図左端付近に「曽我野村」の集落がみえ、さらにここから太い道を南(下)にたどったところ
にある集落は北生実村新田(現塩田町)であるが、生実池から流れ出る用水はこの両村の
田地を潤していた。なお生実池の南端には水神として弁財天が祀られており、
このため弁天池とも呼ばれていた。

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