生浜小学校
明治の末、生浜小学校を建てるのに敷地のことで現在の生実保育所のあたりに
しょうとする山の手部落民と、現在の市民センターあたりにしようとする海岸部落民
との間で長いこときまりませんでした。
そこで村長は村会にはかったところ、村会では村の中央地点である田圃の中がよいと
決定しました。村長は早速そのことを郡長に報告、郡長は村会で決議したところに
学校を建てるように指定してきました。ところが、これを知った山の手部落民は村長を
恨み、村税滞納、その他のことを互いに申し合わせ村長を困らせようといたしました。
その後、村税滞納督促に行った役場吏員や警備に赴いた警察官に対して
暴行を加えた、その為公務執行妨害の、罪に問われるような大事件となってしまいました
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