南生実村絵図  1751(寛延4)年2月改            (県立中央図書館所蔵)
生実藩が保管していた南生実村の絵図である。近代の地形図や字訳絵図と対照すると、かなり正確に地形が把握されていたこと
がわかる。また、隣村の絵図と比較して、図中に地名など多くの記載がある点が注目される。記載内容は右した下図のとおり
(表記は旧生浜町役場)旧蔵分によるである。村の西端にある川を「塩田川」と表示しているが、最近の河川改修以来「浜野川」と
改称された。また、北端の「野口大道」は北生実村地内にある南生実村の飛地で、土気道(現大網街道)と生実藩陣屋や
浜野海岸を結ぶ道沿いに位置している。南生実村は、上図の左端にみえる百亀喜(どうみき)、中央下部に見える本郷、
大百池(おうどいけ)の上に見える大百池新田の3つの集落から構成されていた。南生実村は生実藩領に属し、
総村高1027石余(1834=天保5年下総国郷帳)で、そのうち百亀喜は181石余(1636=寛永13年検地)、
大百池新田は41石余(1745=延享2年書上)であった。1774年(安永3)年家数84軒、人数464人。

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