生実城(北小弓城)跡と生実藩陣屋跡 |
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社務所の前に右の看板があります | |||
今から500年ほど昔の戦国時代後半、千葉市南部は房総の里見・武田氏と、千葉氏・小田原の北条氏が覇権を 争う舞台となりました。生実町の大地上に広がる生実城は、1538(天文8)年の築城から1590(天正18)年の 廃城までの約50年間に幾多の攻防戦が展開されています。江戸時代になると、城の一部が陣屋に改められ、 1627(寛永4)年から幕末までの約240年間、幕府の要職についた森川家の城下町として、また房総往還を臨む 交通の要衝として生実町は栄えまして。生実城の堀跡は、戦国時代後半から江戸時代にかけての貴重な 資料や情報を秘めた第1級の遺構です。1995(平成7)年に最も良好に堀跡の形がのこる生実神社西側の 土地360坪が、宇野澤澤氏から生実神社に寄贈されました。生実町民挙げて謝意を表し、その功績を永く讃え、 生実城の詳細を広く知っていただくため、説明板を設置しました。 |
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生実城跡の南側を通過する都市計画道路の整備に伴う発掘調査により、戦国時代から近世に至る多量の 遺構・遺物が検出され今まで文献のみでしか知ることができなかった、生実城の素顔が明らかになってきました。 戦国時代から近世まで使われた堀跡、4体の人骨を埋葬した地下式礦(墓)・井戸跡・遺物跡など 遺構と享禄4年(1531年)銘のある庚申待板や多数の陶磁器などの遺物が検出されています。 |
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