当寺は字横須賀にあり、文明5年(1474)4月に浜野町の本行寺を開いた日泰上人が開基したもので
京都の妙塔山妙満寺の末寺で顕本法華宗に属しています。寺は第8世日清,12世日宏等と数世にわたり
江戸幕府の禁ずる宗教活動に関わったため,幕府より弾圧され一時存亡の危機にありましたが,後任の
日勝と檀家篠崎氏の死をかけての請願により存続が許されました。その後享保17年(1732)第14世日諌が
現本堂を再建するころになる、寺勢も興降するようになりました。
現在、境内には本堂、庫裏、鐘楼等がありますが、明治以前にわ連如坊・台応坊の2塔頭があったと伝え、
明治年代には乗池院、鬼子母神堂、閑居所があったといわれています。
寺には日蓮筆の「十界勧請曼陀羅」、日泰筆「子安曼陀羅」が大切に所蔵されています。
又、文久元年(1861)頃から村の寺小屋として、多くの方々が勉強した処でもあった。
寺子屋といえば、戦争中には、錦糸国民学校(東京)の女子生徒が疎開していたこともあった。
ちなみに、鐘楼堂の梵鐘(カネ)は、昭和18年に兵器資材として供出した為、失いました
現在の住職は大和久観浄氏 31世です。
戻る